話す相手の言葉に気づかされることがある。
自分が目を背けてきた事も
距離をとって見られるようになる…
そんな感じ。
このブログにも何度か登場している
小学校からの恩師である先生と
久しぶりに電話で話すことができた。
何歳になっても見守り続けて下さっていることが
とても嬉しくて…つい長話をしてしまった😅
私たち親子の状態を話すと自然に
「親子関係」についての話がひろがっていく。
予想外だったことは先生も親子関係において
様々な経験をされていたという話を聞き
いつも励ましの言葉を掛けてもらっている。
その中で一瞬…
心の氷の一部がとけて欠けた音がした気がした。
それは
「過保護も親の愛だ」
という言葉。
超過保護に育てられた私にとっては
「過保護=悪」
でも、そうじゃないことを
先ほどの言葉に託して話されたと感じた。
親だって人間だもの…
完璧な親なんていないだろう。
そして子どもへの愛情のカタチもそれぞれ違う…
優しさが愛情であるように
厳しさも愛情だったり。
そう考えてみると
確かに過保護も愛情には違いない。
ずーっと母の過保護、過干渉を許さずにいた。
でも…
彼女は自分が父(私の祖父)を戦争で失い
母(私の祖母)は女手一つで
母と叔母を育てるためにずーっと働いていた。
構ってもらえなかった寂しさが
自分の子ども(私)を育てる上で
過保護、過干渉になってしまったのかもしれない
そう考えると
心の氷が少しとけたように感じた。
自分が受けたように与える場合も
自分が受けたように与えたくない場合も
どちらも間違いではない…ということ。
何歳になっても
先生は私の大切な先生だな😌
大切な気づきに感謝✨
そして30年ぶりにお会いできる日を楽しみに…